沿革

女子の能力を高く評価し、全力を尽くして教育にあたった
3人の女性宣教師の情熱から始まった教育の道

年表

1800年代

  • 1871(明治4)
    米国婦人一致外国伝道協会より派遣された女性宣教師M.P.ブライン J.N. クロスビー及びL.H.ピアソンが、横浜山手48番にキリスト教信仰に基づく女子教育および混血児養育を目的とする、亜米利加婦人教授所(American Mission Home) を設立。 学園の前身となる。 初代校長に L.H.ピアソン就任。

    1871(明治4)年

  • 1872(明治5)
    山手212番(現在の場所)に移転。
    日本婦女英学校と改称。 通称ミッションホーム。英語名ドリーマス・スクール。

    1872(明治5)年

    最初に建てられた校舎

    居留外国人、軍人、船員、日本人を対象とした祈祷会もここで守られた。右側のグリーンベンチに腰掛けているのがプライン、中央の椅子にピアソン、左方に立っているのはクロスビー。

  • 1873(明治6)
    キリシタン禁制の高札廃止
    キリスト教が公に認められる
  • 1875(明治8)
    共立女学校と改称。

    1875(明治8)年

    新築された校舎、寄宿舎

  • 1881(明治14)
    ピアソン、偕成伝道女学校を設立。

    1881(明治14)年

    偕成伝道女学校の校舎

  • 1889(明治22)
    大日本帝国憲法発布
  • 1890(明治23)
    教育勅語発布
  • 1891(明治24)
    H.I.ブルックハート第2代校長に就任。 混血児養育施設閉鎖。
  • 1894(明治27)
    R.L.アーヴィン第3代校長に就任。

    1894(明治27)年

    第3代校長アーヴィンと生徒
    左から2人目がアーヴィン。

  • 1899(明治32)
    文部省訓令第12号公布
    学校における宗教教育, 宗教儀式の禁止

本校を創立したのは…

1861年にアメリカで最初に設立されたWUMS(米国婦人一致外国伝道協会)は、女性の手で女性のために女性の宣教師を派遣するという海外伝道を応援する女性の「協会」です。 この団体の創立者であるドリーマス夫人の名前から Doremus School と呼ばれています。特定の教派に属さず、一般の方々の志によって支えられてきましたので、財政的基盤が絶えず不安定でした。 すでに母体であるWUMSはありませんが、本校は150年以上も神に愛され守られ続けてきました。

セラ・P・ドリーマス初代WUMS会長

セラ・P・ドリーマス
初代WUMS会長

1900年代

  • 1901(明治34)
    クララ.D.ルーミス第4代校長に就任。

    1901 (34)年

    第4代校長クララ.D.ルーミス(1901〜36在任)

  • 1904(明治37)
    3階建のドリーマス記念館落成。

    1904(明治37)年

    ドリーマスホール

    11月26日、献堂式が行われた。

  • 1917(大正6)
    創立者クロスビー藍綬褒章を受章。

    1917(大正6)年

    藍綬褒章を胸につけたクロスビー

  • 1921(大正10)
    3階建の校舎とクロスビー記念講堂落成。

    1921(大正10)年

    クロスビー・チャペル

  • 1923(大正12)
    関東大震災により共立女学校校舎全焼。

    1923(大正12)年

    校庭の焼け跡に立つ生徒

    震災後、2か月以上たってもまだ瓦礫の山の学校を片付ける生徒たち。

  • 1924(大正13)
    仮校舎落成。

    1924(大正13)年

    組立校舎と山手211番ミセス・マクアーサーの土地

    ブラウン邸のあった聖書和訳の地。新校舎を建設するために、
    1930年に募金の中から購入した。

  • 1930(昭和5)
    隣接の山手町211番(新約聖書和訳に携わったS.R.ブラウン博士旧宅跡)
    485坪の永代借地権を購入。
  • 1931(昭和6)
    創立60周年記念式典挙行。
    W.M.ヴォーリズ設計の3階建の本校舎(現存) と体育館落成。

    1931(昭和6)年

    落成した本校舎

    本建築の校舎と校地の拡張は、指定校認可を受けるためにも必要とされていた。

    1931(昭和6)年

    設計図舎

  • 1932(昭和7)
    財団法人横浜共立学園の設立。

    1932(昭和7)年

    空から見た神学校と女学校の校舎全景

    神学校の新校舎落成(1932年)後の撮影。

  • 1936(昭和11)
    笹尾条太郎第5代校長 (初代日本人校長) に就任。
    第4代校長ルーミスに名誉校長の称号を贈る。
  • 1937(昭和12)
    経済的にミッションより独立して、「日本人の教育は日本人の責任で」という経営方針を確立。
    ルーミス名誉校長、藍綬褒章を受章。
  • 1941(昭和16)
    神保勝世第6代校長に就任。
  • 1944(昭和19)
    本校舎及び体育館、日本海軍により接収。
    山手町213番598坪を購入。
  • 1945(昭和20)
    戦災により本校舎1棟のみを残し、 他は焼失。

    1945(昭和20)年

    焼き尽くされた横浜市街地

    桜木町上空から根岸湾方面を見る。
    Oで囲んだ部分は奇跡的に焼け残った本校舎。

  • 1946(昭和21)
    私立学校における宗教教育 宗教儀式の回復
    校地の大部分を進駐軍により接収。(日本国憲法発布)

    1946(昭和21)年

    神保校長と英文の案内板

    本校舎の接収は免れたが、校地の大部分を接収された。

  • 1947(昭和22)
    学制改革により中学校を設置し、 校名を横浜共立学園中学部と改称。
    教育基本法、学校教育法公布
  • 1948(昭和23)
    学制改革により高等学校を設置し、校名を横浜共立学園高等学部と改称。
  • 1949(昭和24)
    第1次戦災復興校舎として東校舎落成。

    1949(昭和24)年

    落成した東校舎

    2月5日、献堂式を挙行。空襲で消失した体育館の跡地に、本校舎の意匠を取り入れて建設された第1次戦災復興校舎

  • 1951(昭和26)
    私立学校法により財団法人横浜共立学園から学校法人横浜共立学園へ組織変更。
    校名を横浜共立学園中学校、横浜共立学園高等学校と改称。
    創立80周年記念式典挙行。
    横浜共立学園80年史『恩寵と偕に八十年』を刊行。
  • 1952(昭和27)
    接収校地の一部接収解除返還。
  • 1953(昭和28)
    第2次戦災復興校舎として西校舎落成。

    1953(昭和28)年

    西校舎落成

    当時の校舎全景。接収されたままの東西の校地に米軍家族住宅が並ぶ。

  • 1959(昭和34)
    接収校地の一部接収解除返還。
  • 1961(昭和36)
    創立90周年記念式典挙行。 南校舎落成。

    1961(昭和36)年

    落成した南校舎

    西校舎を増築する形で建設された南校舎は、鉄筋コンクリート5階建て(1部7階)、普通教室のほか、講堂、図書室、放送室などが設けられた。

  • 1968(昭和43)
    接収校地の残り山手町213番接収解除返還。
    校地と地続きの山手町210番 2,348平方メートルを体育館敷地として購入。
  • 1969(昭和44)
    2,924平方メートルの体育館(現存)落成。

    1969(昭和44)年

    体育館の外観

    5月10日に2,942m²の体育館が落成。校舎の北側から望む。

  • 1970(昭和45)
    校地と地続きの山手町215番3,085平方メートルを購入。
  • 1971(昭和46)
    創立100周年記念式典挙行。
  • 1972(昭和47)
    校地と地続きの山手町214番1,741平方メートルと山手214番館及び校地の向かい側の山手町217番の一部586平方メートルを購入。

    1972(昭和47)年

    山手214番館

    1972年7月、かつてのスウェーデン領事公邸を取得した。建物は昭和初期の建築。

  • 1974(昭和49)
    山手町217番の残り1,793平方メートルを購入、第2運動場として整備。

    1974(昭和49)年

    第2運動場の整備

    1972年と74年の2度に分けて217番を購入し、第2運動場にした(現在の球技コート)

  • 1981(昭和56)
    創立110周年記念式典挙行。
    外国人墓地の創立者クロスビーとピアソンの墓の側に記念の墓標を設置。

    1981(昭和56)年

    創立者の墓地の整備

    横浜外国人墓地に眠るピアソンとクロスビーの遺徳をしのび。創立110周年を記念してそれぞれの墓石の脇に石碑を設置した。

  • 1988(昭和63)
    本校舎が横浜市指定有形文化財 (第1号) に指定される。
  • 1991(平成3)
    創立120周年記念式典挙行。『横浜共立学園120年の歩み』及び写真集 『横浜共立学園の120年』刊行。 紀要創刊。
  • 1992(平成4)
    小林宏第7代校長に就任。 創立120周年記念特別教室棟落成。

    1992(平成4)年

    工事が進む特別教室棟

    本校舎の道路を隔てた東側にヴォーリズ建築事務所の設計による特別教室棟の建設が進み、1992年4月22日に落成。背後にみなとみらい21地区が見える。

  • 1994(平成6)
    山手214番館 (旧スウェーデン領事館) 横浜市指定有形文化財に指定される。

    1994(平成6)年

    整備された山手214番館

    1990年12月に横浜市認定歴史的建造物に、94年11月に横浜市指定有形文化財に指定された。全面的に保全・改修し、97年6月5日、駐日スウェーデン大使夫妻を招いて落成式を行なった。

  • 1995(平成7)
    創立120周年記念中学校校舎落成。

    1995(平成7)年

    落成した新校舎(中学校校舎)

    1995年9月27日、創立120周年記念の新校舎2期工事中学校校舎が落成した。96年度から新校舎(特別教室棟・中学校校舎)を東校舎に、従来の東校舎を旧東校舎に名称変更した。

  • 1998(平成10)
    相吉達男第8代校長に就任。
  • 1999(平成11)
    学校教育法の改正を機に中高一貫教育校(併設型)となる。

2000年代

  • 2001(平成13)
    石井道夫第9代校長に就任。
    創立130周年記念礼拝。
    球技コート竣工。

    2001(平成13)年

    球技コート

    2001年、創立130周年を記念して第2運動場を球技コートに改修、6月6日に完成記念式を行なった。

  • 2002(平成14)
    創立130周年記念として『開校五拾年史』『帝国における四半世紀<ーミッションの日本の歩み>』復刻、ビデオ「心をつくし、力をつくして」制作。
  • 2004(平成16)
    創立130周年記念 『横浜共立学園資料集』刊行。
  • 2006(平成18)
    塚本智子第10代校長に就任。
  • 2007(平成19)
    坂田雅雄第11代校長に就任。
  • 2010(平成22)
    校地の向かい側の山手町219番4、6の673.95平方メートルを購入。
  • 2011(平成23)
    創立140周年記念 『横浜共立学園の140年』 刊行 、ビデオ 「神に愛され、隣人に仕える人に」制作。
  • 2016(平成28)
    小澤伸男第12代校長に就任。
  • 2018(平成30)
    創立150周年記念南校舎落成。

    2018(平成30)年

    南校舎

    2018年3月、創立150周年記念の南校舎が落成した。地下1階、地上4階建て。

  • 2019(令和元)
    本校舎保全改修。

    2019(令和元)年

    本校舎(横浜市指定有形文化財)

    本校舎の大規模改修(保全および耐震)が2019年7月に完了。

  • 2020(令和2)
    山手町219番4、6の673.95平方メートルを売却。
  • 2021(令和3)
    創立150周年記念礼拝。

    2021(令和3)年

    キャンパス全景

  • 2022(令和4)
    創立150周年記念西校舎落成。 グラウンド・外構を整備。

    2022(令和4)年

    西校舎

    2022年3月、創立150周年記念の西校舎が落成した。地下2階建て(階段室は地上2階建て)。2つの広い多目的ホールを有する。

    2022(令和4)年

    グラウンド・外構

敷地拡張の歩み

敷地拡張の歩み「横浜実測図」明治14年

番地 購入年 備考
①山手212 1872年(明治5年) 山手48番から移転
②〃208,209 1873年(明治6年)
③山手町211 1930年(昭和5年) S・Rブラウン邸跡地
④〃213 1944年(昭和19年) 共立奨学会が購入、寄付
⑤〃210 1968年(昭和43年) 体育館敷地として購入
⑥〃215 1970年(昭和45年)
⑦〃214 1972年(昭和47年) 旧スウェーデン領事公邸
⑧〃217の一部 〃年(〃)
⑨〃217の一部 1974年(昭和49年) 第2運動場として整備

原図は「横浜実測図」明治14年による

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